「音」楽に「専」らのめりこみ「満」足と「充」実を多視点から伝えるブログ
 
歌詞=
この前眼科で気球で視力測って、使ってる眼鏡の度数を調べられたあとに、人力の視力検査をしたんですけど、わたし片目0.02レヴェルのド近眼なもんで、裸眼を測るときには視力検査の盤面ではなく、看護師さんがランドルト環が描かれた紙を手に持って、それで測るんですよね。そんな感じで看護師さんに「わかりません」と言うと「だよねー、わかんないよねー笑」と言われ、「右……?」と答えると「えっ、意外と見えてるね!」と驚かれるという、いやいや確かにド近眼だけども患者相手にそのリアクション人間味あふれすぎやろ。楽しかったです。

今日は付き合いもまあまあ長くなるバンドにインタヴューをしました。わたしはもともと歌詞の意味とかを聞くのが苦手というか、なんか俗っぽくなるから好きではないんですね。もちろん込めた想いを話してくださるなら、それはとてもうれしいし「ああそういうことなのか」とも思えて面白いんですけど。自分から積極的に歌詞の意味を解剖していくことに興味がないんです。

それってなんでなんやろー、と自分自身に対してもずっと思ってまして。たぶん、ほんまに知りたいことなら、聞いてると思うんですよ。でも聞かないということは、やっぱそんなに知りたいと思ってへんねやろなーと。

そんで今日インタヴューをしていて思ったんですよね。歌詞って言葉じゃないねんな、音楽なんやなと。歌詞は音楽の一部とかではなく、歌詞そのものが音楽なんですよ。音でやっていることを言葉でやっているのが歌詞なんじゃないかと。

このギターの音は海みたいだね、とか言ったりすると思うんですけど、それとまったく一緒ですよね。その歌詞でイメージが膨らむとか、そういうのでいいと思うんです。

もちろん最後まで走り抜けて〜みたいな直球メッセージがドン!と乗った歌もあるし、そういう音楽の強さというものもあると思うんですよ。フォークソングなんてまさにその極みだと思うし、思想と言うものを伝えるツールとして音楽というのは持ってこいなんだろうなというのもよくわかる。

音楽というかたちのないもの、目に見えないものは、心というものにいちばん近い存在なのかもしれないなあと思ったりします。空気の振動だから、音というものは。言葉にしなくても伝わる気持ち、みたいな感じというか。歌詞も同じように、理解するというよりは、感覚で掴めるものでいいんじゃないかなあ、というかそういうものが素敵だなあと思ったりします。

ググればなんでも正解が出てくるこの時代、不確かなものがあってもいいんでないかい。その不確かさのなかで自分の大切な何かが見つけられたら、それは一生ものだなと思います。
【2017.10.20 Friday 19:00】 author : sayako oki
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心のノイズ
基本的にひとりなので、仕事で小さい違和感を覚えたときに、かしこまってではなく日常会話的にさらっと相談できる相手がいないというのは、結構しんどいものだなと思ったりする。

いまも小さい違和感があり、それがずっと小さいノイズのようにまとわりついている。歯に野菜の繊維が挟まっているような状態。そんなノイズを気にしていたら何もできないことも重々承知のうえだが、様々なノイズが積み重なって大きな音になったとき、人間は限界に達するのだと思う。ノイズは放置して消えることは少なく、寧ろ小さなノイズはどんどん大きな音になっていく。歯に野菜の繊維が挟まりっぱなしだとどんどん腐敗し歯を蝕んでいくのと似ている。

歯に挟まったら楊枝か何かで取り除くべきだし、毎日歯磨きをすることが虫歯予防にもなる。自分を守るためにも、自分の意見は言わなくてはいけないなと思う。もちろんそのときに相手への配慮は忘れてはいけない。

飲み込まれるのも、見て見ぬふりをするのも、放置するのも、とてもラクなこと。だがラクなことは必ずしも幸せなこと、楽しいことであるとは限らない。頑張ることや努力することは、我慢することではない。
【2017.10.19 Thursday 14:40】 author : sayako oki
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「わかりやすい」とか「読みやすい」とか
レヴューでもライヴレポートでもインタヴュー原稿でも「わかりやすい、読みやすい」と言ってもらうことが多い。これ、めちゃくちゃうれしいです。わたしは中学時代に音楽雑誌に目覚めた人間なので、過去の自分みたいな中学生の子たちにも受け取ってもらえるものにしたいと思っています。難しいことを難しく言うことに興味はないし、小難しく言うことは簡単です。わたしは10代の頃に純文学を読んで育っているのですが、純文学には無駄なものがなく、難しいのは言い回しではなく言葉で(誤謬、みたいな言葉自体の意味が難しい)。言葉の意味がわかればスルッとマロニーみたいに食べられる。わたしはそういうものが美しいと思う。わかりやすくて俗っぽくならない。これはわたしが原稿を書くうえでのテーマでもあります。むずかしいけれど。

インタヴュー原稿も読者さんやアーティストさんから「わかりやすい」と言ってもらうことが多くて、今日は編集さんから褒めていただけてめっちゃうれしかったのでうきうきして調子に乗ってこんなブログを書いています。すみません。わたしもアマチュアライターのころは喋り言葉をそのまま文章で再現して臨場感出そうとしていたところがある。でも書いていくうちに「こうしたほうが読みやすいかも」という方法を試していくようになりました。

それで1年くらい前かな? とあるインタヴュー記事を読んだんです。話し言葉をそのまま文字に落とし込んだ記事で、臨場感云々の前に「わ、読みづらいな」と思ってしまったんですね。わたしはその人と対面したことがないから本人のイメージは全然浮かばないし、読みづらいから言ってることが頭に入ってこないし。そのときに「臨場感を伝えたくて言葉をそのまま文字に落とし込むのはインタヴュアーの怠慢なんじゃないかな」と思ったのです。

読者さんは現場にいないわけで、話し言葉はもともと文章になるべきものではない。だとしたら、実際面と向かって話を聞いたライターが、発言者の言葉の温度やニュアンスを殺さないで発言者の話した言葉を文章というものに落とし込んで、なおかつその場の空気感を感じさせるものにするべきなんじゃないか。わたしはずっと、インタヴュー原稿において文章からもアーティストの人となりを感じられるものにしたい、読者さんがわたしと一緒にアーティストの話を聞いているものにしたいと思ってきたんだけど、そのために必要なことを気付かされた感覚がありました。

それに気付いてから、わたしのインタヴュー原稿は変わった(というよりは洗練された)と思っています。1年前に書いたインタヴュー原稿をこの前読み返したら結構読みづらくて、うわー恥ずかしいー修正させてほしいーという気持ち。

アーティストの伝えてくださった言葉の核心をちゃんと文章の前面に出せるような原稿にしたいな〜と思っています。頭と感性をフルに使う仕事だから、まじでやりがいあるんですよね。仕事すればするほど寿命が縮まっている感覚すらするし、それが気持ちいいなと思っちゃう。んー、しがみつきたいな。がんばります。
【2017.09.16 Saturday 00:53】 author : sayako oki
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ONE TONGUE MAGAZINE 記事後記 〜Made in Me.編
地方でも東京でもない“横浜町田”で生まれる若者のリアルなクリエイティヴィティ――3ピースバンドMade in Me.が持つローカルのプライド
http://one-tongue.net/2017/09/07/3158/

本日、ワンタンマガジンでMade in Me.のインタビュー記事をアップしました。ワンタンマガジンでは初めての地の文+発言タイプの記事です。地の文+発言タイプの記事はあんまり長いインタヴュー記事に向かないかな? というところもあるので、いつもはQ&Aタイプにするんだけど、ちょっとした事情がいろいろありまして。

実はこちらのメンバーさんの回答は、わたしがメールで送った質問に対してメンバーさんがメールで返信してくださったものなのです。すなわちメールインタヴューですね。わたしもお仕事でメールインタヴューよくやるんだけど、正直言うとメールインタヴューが記事になるのがどうも苦手なんです。Q&Aタイプなのに、なんかちぐはぐで違和感があるじゃないですか? わたしだけかな? だからワンタンではあまりそれをやりたくないな……って感じがして、じゃあ地の文+発言タイプの記事にしよう、と。メールの返信を地の文+発言タイプの記事にしたのは、過去にcinema staffのDVDにまつわる原稿でやったことがあったので、そのメソッドを利用しました。

Q&Aタイプの原稿はライターがどれだけ裏方になるか(どれだけちゃんとインタヴュイーにスポットを当てられるか)も大事になってくるんだけど、地の文+発言タイプの原稿は、ライターの文章力が試される部分も大きいです。だから「インタヴュー記事ならば、地の文+発言タイプこそライターの仕事だ」という方々もいらっしゃいます。というのもあり、いつもと違う気合いが入りました。おまけにこれだけ長い地の文+発言タイプの原稿を書いたのは、駆け出しのときに恩師の冊子に寄稿したとき以来だったので、結構体力を使いました。でも書いているときの興奮と、書き上げたときの達成感はものすごいな〜。それもこれも、心のこもったお返事をMade in Me.のみなさんがしてくださったからです。本当にありがとうございます。

Made in Me.はわたしがたまたまYouTubeの自動再生で辿り着いたバンドです。「19hours」という曲の衝撃が強すぎて、それ以外のYouTubeにアップされている曲を全部聴いて、「ほかの曲もいいな」と思いすぐコンタクトを取りました。そのちょっと前に「わたしはバズる売れるバンドを探したり当てたりプッシュしたいんじゃない。自分がいいと思うバンドのCDを聴いてほしい&ライヴに行ってほしいだけなんだよな」ということをちゃんと自覚したタイミングでもあったので、それをただ衝動的に実行しました。

いまオーバーグラウンドに存在するものも、すべてはアンダーグラウンドから始まっている。頭ではわかっていました。だけど東京以外のアンダーグラウンドにこれだけ強い意志が通っている空間があることを目の当たりにし、一人ひとりの自主性や、そこでしか感じられない想いが爆発を肌で感じ、わたしは強い刺激を受けました。

遠征の地に選ばれない町田、全国ツアーでスルーされがちの横浜。まだ詳しく知らないわたしがこんなことを言うのはおこがましいと思うけれど、「こんなに素敵な世界があるんだよ」という高揚を、新鮮なうちに、熱いうちに伝えたかったのです。全然有名なライターでもないし、影響力もないけれど……。でもネームバリューではなく文章そのものを認められてきたというプライドと、文章そのものを認めてくださる方々がいらっしゃるという感謝の気持ちのふたつがあるから、この記事を読んでほしいです。いいと思ったら記事を広めてほしいです。

Made in Me.の活動の面白さを伝えたいという気持ちもあるし、あなたの住む街のアンダーグラウンドにも同じような場所があるかもしれません、というメッセージでもあります。わたしの住む小田原にもね。

この記事がひとりでも多くの人に届くことを願っています。
【2017.09.07 Thursday 18:35】 author : sayako oki
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わたしにとっての「このアーティストが好き」とは(ただの自己分析)
わたしはずっと、ライターや編集者が原稿に「好き」という感情をこめることにもやもやした気持ちをおぼえていました。好きってなんなんやろ〜と中学生よろしく悶々とする日々。好き好き全部が最高!って気持ちが溢れた記事を読むと正直「うっ」と思うし、終始ハートの目で見たことを綴った文章読むと「ライターがこんなに盲目的でいいんやろうか」と疑問に思うところがずっとあったんですよね。でもわたしの原稿もよく「愛がある」と言われるし、「じゃあお前は好きって気持ち持ってないの?」と言われたらそんなことはない。大好きなバンドはたくさんいます。一体これはなんなんだろう? この気持ちはどうしたらいいんだろう? と、ずっと悩んでいました。

じゃあわたしにとっての「好き」って何かと言うと。尊敬する年下のライターさんと話していて気づいたんですけど、「そのアーティストに評価できる箇所がある」ということなんですね。めっちゃ上から目線で何様だよ!と思われると思うけど、わたしはライターの仕事って報道することでも感想文を書くことでもなく「評論」だと思っています。わたしの場合はその「評価できる箇所の多さ」が、「好きな度合い、尊敬する度合い」と比例している。わたしの「好き」はラヴではなくリスペクトなのでしょう。

たとえばわたしが好きなバンドというと、ねごとは昔から好きだけど、メンバーそれぞれの個性が立ち始めた2〜3年前からめきめきかっこよくなっているので、それからさらに好きなんですよね。ねごとはいまがいちばん好き。People In The Boxも昔から好きだけど、特に『Citizen Soul』以降に音楽的な広がりを感じているので、そこからさらに好きになっています。毎回作品のたびに新しい価値観をもたらされているし、そのときその場所そのモードでしかできないライヴをするところも興味深いし、本当にすごいと思う。毎回間違いない作品だろうと思いつつ、いいと思ってたまるか!という謎の対抗心もあります笑 だいたい「やっぱピープルすごいわ……」と唖然とする結果になるんだけど。

好きだから評価しているわけではないし、評価しているアーティストに評価できない箇所もある(もうちょっとこの曲のアレンジどうにかなったんじゃないかとか、もう少し曲に寄り添った演奏ができたんじゃないかとか)。そして評価できるポイントが減れば自然と「好き」の度合いも減るなあと最近実感しております。大好きで尊敬しているアーティストは人となりも尊敬できる方々ばかりです。表現にはそのときそのときのそのひと個人の生き様が滲むものだと思っています。

わたしは体温や血が通う、心にある喜怒哀楽すべてがすみずみに込められた表現を評価したいしそういうアーティストを尊敬しているし、向上心を持って作品やライヴのたびに進化する&ハングリーに表現を磨き続けるアーティストを評価したいし尊敬しています。どこに評価の重きを置くかもライターの個性だし、そこがアーティストとライターの相性でもあると思います。そのアーティストと仲がいいから、アーティストに嫌われたくないから好かれたいから評価するのは、まじで不純だしかっこ悪いし、なにより相手に対して不誠実ではないかな。自分にとっても不健全で、メリットにならない。

誠意を持って伝えても嫌われたらもう仕方がない。そういう覚悟のもと、わたしはこれからもこの仕事をしていきます。なによりも謙虚さと素直さは忘れずに!!!!!! でもここ3ヶ月くらい仕事がまじで暇で廃業の危機ってことは、この考え方が間違っているのでは……と思ったりするんですけど苦笑 自分を信じて踏ん張っていこうと思います。
【2017.08.26 Saturday 14:49】 author : sayako oki
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左手の甲にパス
ゲストやスタッフでライヴ会場に入る場合、大体パスと呼ばれる布製のシールをもらいます。そのパスを貼る位置も人それぞれで、わたしの場合は左手の甲か、夏なら左腕の手首と肘の間あたりに貼ります。

なぜ左手の甲や左腕なのか。その理由としては洋服に貼るとパスのせいで洋服が毛羽立ったり、剥がしたときに洋服の素材も一緒に剥げてしまうから。ほかに、手の甲に貼ると必要に応じてかざせるし隠せるのも便利です。ゲストやスタッフでないと立ち入れない場所への検問でパスを見せるとき、手の甲に貼っていれば左手を顔の近くに持って来れば大体通れる。逆にパスを隠したい状況なら、左手の甲を右手で握れば違和感なく隠せるわけです。

上記ふたつは物理的な理由なんだけど、最後のひとつはちょっと昔に遡ります。わたしが専門学校2年生で、音楽ライターさんのアシスタントに成り立てほやほやのとき。2009年の1月です。そのライターさんがライヴに連れていってくれました。当時のわたしはパスというものが珍しくて珍しくて、できることなら貼らずに持ち帰りたいと思っていたんだけど笑、そのライターさんがわたしに「ちゃんとパス貼りな」と言いました。

周りを見渡すとこなれた感じの大人たちがトップスの下のほうや、ジーパンの腿のあたりに貼っている。でも業界人でもなんでもない、田舎者で引っ込み思案で挙動不審、右も左もわからないわたし。音楽業界の渦中に大パニックです。「こんなわたしが業界のひとたちの真似をしたら、絶対イキってると鼻で笑われる……!!」と心配し、そのライターさんに「どのあたりに貼るのがいいんでしょう……?」と聞くと「胸元に貼りな」という返答。胸元……? えー……? 体操着の名札みたいでダサくねえ……? と思ったのですが、取り敢えず言われた通り胸元に貼りました。そのあとふとそのライターさんを見ると、彼女はパスを手の甲につけていました。

それを見てまず「自分は胸元に貼らんのかい!」と思ったけど、それ以上にその光景が衝撃的でした。パスを素肌に貼る発想が当時のわたしにはまったくなかったからです。でもそのライターさんのパスの貼った手で前髪を触る仕草がなんだかすごくかっこよくて、同時にパスを胸元に貼っているわたしのダサさがちょっと悔しくて笑 その姿に憧れたのでした。ちなみに胸元に貼ったときに着ていたのはカーディガンだったので、見事に毛羽立ちました。

その後、そのライターさんのアシスタントの仕事がフェードアウトして、別のライターさんからアシスタントの仕事をもらうようになりました。新しくアシスタントのお仕事を下さったライターさんは、ライターを目指すわたしに書く機会をたくさん与えてくれる人でした。そのライターさんが稼動できないライヴのレポートを書かせてもらえるようになり、ひとりでライヴの現場に行くことも多くなりました。その初めてひとりで行ったライヴの現場で、ちょっと背伸びをして手の甲にパスを貼ってみました。どきどきしながら貼って、あんまり綺麗に収まらなかった。慣れてないのが丸見えだ。照れくさいような、ちょっと大人になれたような、そんな感覚がありました。

手の甲にパスを貼るたびに、あのときの気持ちをふと思い出します。たぶんわたしはこれからも、左手の甲にパスを貼るんだと思います。と、うだうだ長々語ったけど、ただ単にもう左手の甲に貼るのがクセになってるだけだったりもします。
【2017.08.14 Monday 14:58】 author : sayako oki
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ロングスカート
巷でロングスカートが流行っている。「ロングスカートが流行るということは不景気なんだよ」って、20年くらい前に聞いた気がするが、いまの時代もこの定説は生きているのだろうか。2年前の夏、ロングスカートが大好きな母親へロングスカートをプレゼントしようと思いショッピングモールに行くも、流行ではなかったためまったく見当たらなかった。2年前にこれだけロングスカートの種類が抱負だったらなあと一抹の悔しさが湧いてくる。

わたしは普段、膝上のスカートを履くことが多い。もうアラサーも佳境なので、遠まわしに「いつまでミニスカートなんて履いてるんだ」と言われることもしばしばある。さすがにもうこの丈は無理だろうと思うスカートは履かなくなったけれど、それでもわたしは膝上のスカートを履いている。ロングスカートがこれだけ流行っているこの2017年に。

その理由は、かつて年上の女性から言われた言葉が影響している。「あるときを境に、急にミニスカートが似合わなくなったときがあった」。その話を聞いたとき、過去の「去年まで結構似合っていた服が今年に入って着てみたらまったく似合わなかった」という経験を思い出した。30になってからそれが格段に増えている。前述の「さすがにもうこの丈は無理だろうと思うスカートは履かなくなった」というのもその一環。自分に似合っていないと思ったからだ。

いまよく履いている膝上のスカートも、たぶんそろそろ急に似合わなくなるときが来る。すなわちロングスカートしか選択肢がなくなる時期がわたしにも来るのだろう。だとしたら、別にいまロングスカートを履く必要はないんじゃないかという結論に達したわたしは、年甲斐ないと言われようと膝上のスカートを履いている。

アラサーって洋服むずい。ティーンから20代前半が着るような服やルーズな服を着るとだらしなく見えるし、大人っぽいものを着ると急に老け込む。27あたりからそれを感じてたけど、30過ぎると特にその加減が難しい。若いうちは流行を取り入れることがおしゃれなんでしょうけど、もうこの年齢になると自分に似合う服やお化粧を選ぶことがおしゃれになっていくんやろうな〜と思う。というわけでもう少し膝上スカートを履いていこうと思います。わたしが膝上スカートが似合わなくなったタイミングでロングスカートが流行ってくれていることを祈るばかりでございます。
【2017.08.05 Saturday 15:21】 author : sayako oki
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人生はアクシデントの連続
原稿を書いたあと、どんなことを書いたのかさっぱり忘れてしまう。もちろん心はこめて書いているし、めちゃくちゃ集中しているんだけど、書き上げた途端に頭から吹っ飛んでるんじゃないかと思うくらいの速度で記憶がなくなる。これはなんなんだろう。大丈夫なのかな。無責任なのかな? とか悩んだりもしてたんですけど、自己分析により「たぶんわたしにとって原稿を書き上げるというのは、そのときそのときの気持ちや思考、モードを封印するということなんだろうなあ」という結論に至りました。読み返して「これわたしが書いたのか。結構いいこと書いてるなあ。いまのわたしがこういうことを書けるかな?」と思ったりもする。ライバルはいつでも過去の自分ですね。

少し話は違うんだけど、感受性のピークは10代で、そのあとは下降すると言うじゃないですか。わたしも音楽業界に足を突っ込んだ25くらいのときにそれがすごく心配だったし怖かったんですけど、いい感じに三十路になったいまもあんまり衰えは感じていないんですよね。寧ろ25のときよりもよく考えるし、感度は上がっているような気がします。なんでだろうなあ、と思っていろいろ考えたけど、やっぱりいちばんは感受性が高いひとたちとよく接しているからなんじゃないかなと思っていて。そのひとたちのオーラから感じ取るものもいろいろあるし、そのひとたちに追いつきたいと思うから自然と自分のアンテナは磨くし、いいものを書きたいなと思うと自然と鍛えることにもなるし。

それも全部振り返ってみれば、なんですけど。鍛えるぞ〜!って思ったこともないし。もうわたしはライターになりたいという夢を7年前に叶えてしまったので、その先の道は特に目標を立ててるわけではないんですよね。将来に不安がないと言うと嘘になるけど、いまできることを精一杯やればいい感じになるんちゃうか、というぼんやりとした根拠のない自信と希望があって、なるようになれ〜と思っている。しいて言えば「いろんなひとと仕事したいからいろんなところで書きたい」というくらい。あとは母の夢である「CDのなかに入るライナーノーツを書く」ですかね。

初めてを経験するたびにひとは変わっていくんですよ。それが最高に面白いし、予期せぬ変わり方をしていくアクシデント性も含めてたのしい。だってわたし自分がライターになれると思ってなかったし。外資系の会社に入って27で結婚して子どもふたり産んで36で仕事復帰する予定だったんですよ。全然違うし笑 でもこれもこれでいいもんやなと思ってます。
【2017.07.02 Sunday 23:43】 author : sayako oki
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夏と死と
もうすぐ夏ですね。みなさんにとって夏はどんな季節でしょうか。

夏は、ほかの季節に比べて、いろんな顔を持っていると思います。夏休みとか、イベントも多いしね。海水浴みたいな楽しみ方もあるし、夏祭りみたいな楽しみ方もあるし、ワンナイトラブ的な開放感もあるし。虫取りとか、アイスキャンディーとか、家で見る高校野球、扇風機、スイカ、風鈴、浴衣、屋台、神社、七夕、上げればきりがないけれど、インドアでもアウトドアでも、西洋風でも日本風でも、いろんな風情があると思います。

わたしにとって、夏は死の季節です。いちばんの理由は父親の命日が8月29日だからです。アスファルトの上で揺れる陽炎を見るたびに、父が亡くなったという報告の電話が来た日の残暑特有のきつい日差しと耳を劈くセミの鳴き声を思い出します。父とわたしの最期の会話は、わたしが父についた悪態でした。そのあとすぐに父は急病で入院し、面会ができないまま急逝しました。わたしは小学生でした。

してしまったことは仕方ないと思って生きている。でもそのことだけは、たぶん死ぬまで後悔するんだと思います。ちゃんと「ひどいことを言ってごめんなさい」と伝えたかった。夏が近づくたびに、父にひどいことを言ってしまったこと、謝れなかったことを悔やみます。

それに加えて、父親が他界した1995年は戦後50年でした。8月は8月15日、8月6日や8月9日など、戦争に関する事案が様々です。まだそのときは戦争を経験した方々から直接話を聞く機会も多く、小学校でも1学期から戦争のことをたくさん勉強し、学習発表会のように模造紙にまとめることも多かったです。あと8月はもともとお盆という習慣もある。わたしは夏に潜む死のにおいから逃れられなくなりました。じゃあ冬を楽しめばいいと思うでしょう? でも2009年のクリスマスイヴに尊敬する音楽家が他界していて、1997年のクリスマスに慕っていたひとが他界しているんです、困っちゃいますよね。でもそれがわたしの業――と言うと大袈裟かもしれないけど、背負わないといけないことなんだろうなと思います。

母親とリニア新幹線のことを話していて、わたしが「名古屋まで開通するのが10年後で、大阪までつながるのが早くて20年後らしい」と言うと、母は「20年後は生きてないだろうなあ」と笑いました。大人になればなるほど死のにおいが濃くなってきて、わたしは自分が死ぬことよりも、好きなひとたちが周りから少しずついなくなることが怖いなと思うようになりました。

なんか暗い話になっちゃったけど、裏を返せば夏は「自分がどう生きていきたいか」に向き合う機会が多いということでもあります。だから20代のときより夏が好きになれていると思う。10代とか二十歳すぎくらいまではビッグネームになってやるとか、超売れっ子になってやるとか、ばりばりキャリアウーマンになってやるとかみんなから一目置かれるような存在になりたいとか思ってたけど、最近は大事なひとやものを大事にできたら、もうそれでいいかなと思うのでありました。今日も原稿がんばるまん
【2017.06.25 Sunday 14:34】 author : sayako oki
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帰り道
先月から元気がない日が続いていて、ライヴに行ったり、誰かと飲んだり遊んだりしては楽しい気分になるけど、帰り道に落ち込んだり、好きな音楽に逃げ込んだり。現実が怖くて眠れない日が続いていたかと思えば、今度は現実逃避で過眠になったり。どうしようもない日々を過ごしていました。

だけど今日、もう付き合いの長くなったバンドにインタヴューをしていて、何があったというわけではないけど、憑き物がほろほろと枯れていくように、帰り道の小田急線で、いま少しずつ元気が湧いてきてる感じがします。

特にわたしがインタヴュアーとしてやったったでーという手ごたえがあったわけでもない。強いて言えば少々難しめのフロントマンの機嫌が良くて、メンバーがいい話を聞かせてくれたという、とてもシンプルなことでした。だけどそのことが、ただ漠然とこれからもわたしはやれる気がする、生きていける気がする、と思わせてくれました。

まあ読んでるひとにしてみればなんのこっちゃって感じだと思うし、わたしも書いててなんのこっちゃやけど笑 くよくよしてられない。そうナチュラルに思えたのです。

精神的に滅入ってるときってそういうシンプルで当たり前のことが受け入れられなかったりするじゃないですか。ずっと「くよくよしててかっこ悪い、ダサい、さっさと元気にならなあかん」と自分に言い聞かせてきたし、無理矢理自分をそこに持っていこうとしていた。でも全然心がどうにもそっちに向かなくて、頭ではわかっているのに心が言うことをきかないことに苦しんでいました。

だけどくよくよしてるメンタルの奥の奥にある光が、ようやく反応してくれました。たぶんあの場の空気がそうさせてくれたのだと思う。だから彼らにありがとう〜という気持ちです。勝手に。

帰って原稿書いて、そのあとエアロバイク漕ご。
【2017.06.19 Monday 17:46】 author : sayako oki
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著者近況
▼ようこそいらっしゃいました! こちらはフリーランス音楽ライター沖さやこによる個人ブログです。熱量を大事にしながら、嘘をつかずに文章を綴っています▼「本音で語る音楽人」をテーマに掲げた音楽系ウェブマガジン「ONE TONGUE MAGAZINE(ワンタンマガジン)」を運営しています。自主制作なのでお金は絡んでません▼書くお仕事頂けたらとても嬉しいです。詳細はプロフィールをご覧くださいませ

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